私の創業原点となったある利用者様との出会いを紹介したいと思います。

作業療法士として訪問リハに従事し始めた頃のことです。
その方は人生を謳歌している真只中で突然の病に襲われました。
一命はとりとめたものの、自分の生命を維持するのにも他人の手に委ねなければならない重度の障害を負ったその方を私が担当することになったのです。

訪問が始まってしばらく経ってからのことです。
「せんせい、ぼくのびようきわなおりますか」と意思伝達装置のモニターに文字が映し出されました。
今でもその文字のことを鮮明に覚えています。

ところがその問いに何も答えることができなかったのです。
その方が知りたがっているであろう後遺障害の回復の見込みについて、
その見込みが殆どないということを、どう伝えてよいのかがわからなかったからです。
当時その方が唯一ご自身の意思でできたことは、意思伝達装置に文字入力をすることぐらいだったのですが、
その唯一できることを使って表現された言葉は「死にたい」の四文字だったのです。
その四文字を見て思わず涙が出そうになりました。

その後たびたび「死にたい」という文字がモニターに映し出されるようになりました。
自分がその方の立場になれば、やはり死にたいだろうと思いました。
しかしこの方は、自分で死ぬことさえもできない状態だったのです。
その現実に気付いたとき「死なせてあげなくては…」そんなことさえ思ってしまったのです。
そして訪問することが苦痛になっていきました。

そんな時、座る訓練で初めて座った格好になれた時のことです。
座った格好を見た奥様の目から、ポロポロと涙がこぼれました。
その涙を見たご本人も、顔をくしゃくしゃにして声にならない声で号泣されました。
私もこみ上げてくるものを堪えることができませんでした。

そして最も大切なことを見落としていたことに気付いたのです。
それは「愛する者」の存在とその想いです。

奥様は「たとえどんな状態になろうとも、命ある限りは…」そんな想いで、献身的に介護をされていたことでしょう。
そんな想いにも気付かずに「死なせてあげなくては…」などと思った自分を恥じました。
また、ご主人は奥様の涙を見て「つらかったのは自分だけではない、妻も一緒に苦しんでいたのではないか」と気付いたのでしょう。
そして自分に対する愛情を確認し、存在役割に気付けたのではないかと思うのです。

それ以来「死にたい」と言う文字は見られなくなりました。

愛する者の存在や、自身を理解してくれている存在は、
何より生きる希望に繋がる大きな力です。
私はこれが「在宅」の意味だと思うのです。

ですから、利用者様と相対する時は、対象となる方を愛している人の存在と想いを感じ、
その方の思いを伝えるメッセンジャーとなり、そして自身も愛する者への想いを馳せながら、
目の前の利用者様に向き合っていくことが大切だと気付いたのです。
地域ケア、在宅ケアの現場にはこういった思想的な捉え方がとても重要です。

この「想い」こそが、私の起業の原点とも言うべきものです。

この方は、全国のモデル事業としてたまたま選ばれて在宅復帰を果たせました。
当時は介護保険の存在すらなく、在宅ケアを支えるインフラは脆弱で、
家に帰ることさえできない方が全国にごまんと存在していました。その方たちのことを思った時に、
たとえどのような状態であっても、住み慣れた場所で、愛する者の存在を感じ、
自分が生きてきた証となる環境で、生活が保障されるようなケアシステムを構築しなければならないと考えました。
それが私の起業者としての使命であり、その実現に向けての取り組みが存在価値であり、
普及させることがモチベーションになっています。

現在も在宅リハビリテーションケアの現場には、様々な課題が山積しています。
ニーズが不明瞭なまま提供されるケアサービス、作られた寝たきりや能力不能の問題、
不作為による廃用症候群の増加など数え上げるときりがありません。
こうした課題に正面から向き合い、生活に視点を置くリハビリテーション理論を介護領域に浸透させ、
融合を図っていくことが、住み慣れた地域で安心して暮らせる仕組みづくりに欠かせないことだと信じて疑いません。
私たちは理想となるリハビリテーションケアを追求し、挑戦し続けます。

株式会社 創心會 代表取締役社長 二神 雅一

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